COMPANY

可能性を最大に。

President

代表者略歴

 代表者略歴 -President profile-

代表取締役鈴木 進介すずきしんすけ
代表取締役 鈴木 進介

1974年生まれ、大阪出身。
大学卒業後、1997年に富士通グループに新卒で入社し富士通製品の法人営業職に従事。
その後、株式会社マクニカ(現マクニカ・富士エレホールディングス:東証1部)で半導体の営業に従事。
2000年25歳の時に有限会社エフティーシー(現コンパス)を設立。パソコン教室の経営、インストラクターの派遣事業を中心に事業展開。同時に起業家交流会を組織化し、数多くの新規事業の支援にも携わる。
2001年にパソコン関連事業を売却し、業容を経営コンサルティング業および人材教育事業に業態転換。2005年に増資、組織・商号変更を行い、株式会社コンパスを設立。代表取締役に就任し、ベンチャー企業から東証 一部上場企業まで数多くの企業のプロジェクトを支援。実務支援で得られた知見を人材教育事業へと展開。現在も自ら講師として20テーマ以上の研修ラインナップを持つ。
また、近年はビジネスパーソンの知的生産性の向上を目的に「思考の整理家」と いう肩書で個人向けに講演活動や執筆活動も行い、現在までに累計受講者数は3万人以上、書籍は11冊・海外翻訳版4冊 (韓国・台湾)をリリースし累計12万部超の実績を持つ。現在は、「生産性向上×人材教育」のドメインにて多方面で事業活動を行う。

  • 価格を無料にしても儲けが出るしくみの作り方
  • すぐやる人になるための仕事のやり方・考え方
  • 1分で頭の中を片づける技術
  • スマホは捨てろ
  • 30代こそ奴隷から抜け出そう!
  • フツーをぶち壊して自分を取り戻そう
  • 本質を見極める「問題解決」のきほん
  • 問題解決のためのセパレート思考
  • 能力以上の成果を引き出す本物の仕分け術
  • 1日10分じぶん会議のすすめ
  • 1分で仕事を片づける技術

 代表者インタビュー –President interview–

 そもそも、なぜ起業しようと思ったのですか?

「まぁ、アンチテーゼというところでしょうか。一流大学~一流企業就職というお決まりの人生ルートへの。僕の友人は高学歴の人間も多かったし、父も大手総合商社にいたため、勉強ができなかった僕としては、その道は負けるのでないなと。このまま普通に就職しても"偏差値55的な人生"しか先が見えず、もっと自分らしい生き方はないものかと高校時代から悶々としていました。」

 そこから起業といっても当時は突拍子もない発想だったのでは?

「実際は起業しようと決めたのは1995年の20歳の時です。この時代といえば、windows95が大ブームになった時代。何か時代の大きな転換期を感じたんですね。そんな時、偶然テレビの密着取材で観たソフトバンクの孫正義社長の人生50年計画を知った時に、"そんな生き方もありなのか"と知り、これぞ一発逆転の進路だ!と直感が働いて起業を意識し始めたというわけです。あ、当時はソフトバンクなんていう会社名は一般の人は誰も知らない時代ですよ。」

 起業を意識してからはどうしたのですか?

「とはいえ、何から始めればよいのかまったくわからない1996年〜1997年当時、アメリカではインターネットが大ブーム、日本でもネットスケープナビゲーターというブラウザーでありえないくらい表示速度が遅いホームページを観るようになりました。まだISDN回線もない時代のことです。それからは何ができるかアイデアのネタ帳を書き、卒論にはソフトバンクの成長戦略をテーマに研究したり、友人と情報交換など。」
「在学中の起業も考えましたが、起業が目的化したら長続きしないなと。人生で何をなすべきなのかをアイデア以上に重視しました。それと社会人経験がなく起業しても組織というものを知らない限り遠回りするなと思い、いったん起業への想いは封印して3年間限定で25歳までは修行のつもりで会社員をやろうと普通に就職しました。独立前提での期間限定就職という気持ちでね。それが1997年のこと、山一證券がつぶれた時期です。」

 就職してから起業するまでの3年間はどう過ごしていたのですか?

「どんなアイデアで起業するのか考えたり、起業家の講演会に足を運んでは刺激を受け、当時世界的コンサルタントだった大前研一さんが主宰するアタッカーズビジネススクールでビジネスプランの立て方を学びつつ、あとは起業家交流会への参加、そして株式投資でお金を増やす活動とかですね(笑)」

 起業当時は今とは異なるパソコン教室関連の事業ですが、これはなぜだったのでしょうか?

「起業直前の1999年当時はネットバブルの時代だったんですね。皆がサイバーエージェントの起業などに刺激を受け、"ポータルサイト"をつくって広告収入でまわし5年でIPOを目指します!と鼻息荒い起業家が多い時代でした。でも、僕自身は何か違うなと。時流に乗ることも一つだけど、アナログサービスで地に足つけた商売というもので足腰を鍛えようと。皆がネットなら俺はアナログだと、単なるへそ曲がりの発想です。(笑)」
「ビジネス的には、多額の資金がかからず初期に借り入れが不要なこと、サービス業で在庫を持たないこと、資金回収が比較的はやいこと、大きな流れで時流に乗っていることなどの視点でパソコン関連の事業に着目しました。」

 その後、当初の事業を売却してコンサル事業に転換したのはどういう経緯だったのですか?

「一言で言えば、ネットバブルの崩壊で煽りを受けて事業がしんどくなったのです。ただ、僕はいくつか起業家交流会のようなものを主宰したり参加していて、そこで知り合った先輩経営者の事業のお手伝いを副業的にやっていたのですね。ちなみに、僕はものすごく飽き性な性格なので一つの事業に長期間集中できないことに気づき・・・コンサル業のように次々に新たな事業テーマがやってくる仕事に副業的とはいえ、はまってしまったというのが実情です。業績が低迷し、僕が飽き性でなければ、今の仕事はしていないかもしれませんね。」

 ちなみに、社名変更を途中でされていますけど、これはどういう経緯だったのですか?

「起業当初は商売の原点を社名にしようと、"For the client"(すべては顧客のために)という言葉の頭文字から有限会社FTCと名づけました。その後、2005年に株式会社化する際に気分を一新すべく社名変更したのですね。その時は本当に社名に悩みましたね。」 「で、悩んだ結果、先が見えない時代の羅針盤(コンパス)として気づきと勇気を与えられるような存在になろうと考え株式会社コンパスと命名しました。でもね、これ実は後付けなんです。社名を考え始めてから1カ月経った頃、寝ている時に突然夢の中に"コンパス"と書かれたプレートが出てきたというのが本当の社名の由来です。(笑)」
「でも、その後、意味合いを考えていくと、僕の世界観や信条に"コンパス(羅針盤)"というネーミングがぴったりだったので、魂を吹き込んでいき、今では名実ともに地に足のついた名前になりました。あ、ちなみに英語表記で"compass"ではなく"compas"なのは、simpleさを追求していきたいということで、最後のSをわざと消去したので、スペルミスではありませんよ(汗)」

 これまで事業の失敗や苦労したことなどはないのですか?参考までに教えてください。

「失敗だらけだし、苦労というか思うようにいかないことだらけでしたよ。たとえばね、20代でコンサル業や研修事業に転換したといってもはじめは独学ですからね、誰もオファーなんてくれませんよ。当然、4年間ほどはほとんど給料が取れない状態に。恐らく日本で一番給料が低い社長だったと思います。」
「東京進出してきて自社で新たな事業を立ち上げるとなったときには、すぐにリーマンショックに直面。新規事業は挫折するわ、既存事業も途中で解約、オファーは途絶え、事務所は引き払い、社員は離散、友人の事務所へ居候させてもらい、残ったお金は13円(会社の残高)・・・・(涙)、その他にもこれまで3つほど事業の立ち上げに失敗もしていますよ。」

 その後、事業を立て直し、個人でも出版や講演活動でフィールドを広げられていますが、なぜ「人材教育」や「生産性向上」といったテーマを追求することになったのでしょうか?

「やはり事業とは人が全てだということをこれまで痛感してきたことです。良い商品や良い売り方であっても、良い人が従事していなければ企業は変な方向性にいってしまう。これは数々の企業の不祥事やブラックな組織で社会問題化しているほどですよね。だから、まずは良い人が存在する状態を支援すること。これは必然だったわけです。」
「ただ、経歴やスキルが高く、頭が良ければ成果が上がるかといえば、まったくそんなことはありません。また、がむしゃらに気合いを入れて頑張れば成果が出るかといえばそれも違うのです。正しい方向性とその人の強みが活きないと、せっかく持つ潜在可能性が開花しないという側面をこれまでずっと見てきて、なんとか人材教育の視点でお手伝いできないかと想い続けていたことが大きいです。」

 では、「生産性向上」といったテーマにも着目しているのはなぜでしょうか?

「どう考えたって、これから人口減少時代で想像以上に人手不足の時代になります。そこへグローバル競争がさらに激化するという厳しい時代になっているわけです。こうなると今いる人の可能性を最大限にひき出さなければ、個人も組織も到底生き残れなくなってしまいます。」
「人手がいないのにスピード対応しなければいけない、一方で残業はできない時代となると、一人一人の仕事のあり方とやり方を見直しアップデートしなければ立ち行かなくなってしまうという危機意識がありました。そこで、生産性を高めることで、時間的にもゆとりをもって創造的な仕事へシフトし、個人と組織がいきいきと思い描く幸せをつくるお手伝いがしたい。そんな想いから、生産性向上×人材教育というテーマの追求をしていこうと考えるようになりました。」

 ありがとうございました。では、最後に今後の抱負をお願いします。

「世の中には2種類の人間がいます。本気でやる人間と、先延ばしと言い訳で結局やらない人間です。僕たちは知見やノウハウに基づきサポートさせていただきますが、最後は本気になって目の前の問題を乗り越えていけるかどうかが鍵を握ります。先が見えない困難な時代ではありますが、世界、日本、そして貴社の羅針盤(コンパス)となって道先をご案内します。ぜひ、共に手を携え"本気で行動する人や組織と問題"を乗り切っていきたいと考えています。」

Contactお問い合わせ
ページトップ
  • 鈴木晋介オフィシャルサイト
  • 鈴木イズムブログ